2019年10月31日 (木)

AIと人の関係 商標編

ちょっと前の話になりますが「AI vs 弁理士 ~ 商標調査対決」というイベントを観に行きました。実際の弁理士とAI商標ソフトが課題に対して調査や判断を行い、どちらより実際の結果に近かったかその優劣で戦うといういわば今流行りの企画です。このイベントについては登壇者や参加者等による観戦記がすでに多くupされています。そこでこのblogでは筆者がその場で感じた「AIは何ができるのか/できないのか」という点に絞って論じていきたいと思います。なお著者は商標業務は全く行っておらず、審査基準等の実務知識もないため、間違っている記載があるかもしれませんので、その時はお知らせください。

イベントの1st Stageは画像検索対決でしたが、大方の予想を裏切り!?人間の方が類似商標を的確に見つけてきました。今回の課題は花(ハイビスカス)のイラストの商標でしたが、製作者は「具象的な画像は苦手で抽象的な図形の方が得意」と述懐していました。確かに人間は画像から特徴を見出しこれが花である、また知っている人ならそれがハイビスカスであると理解し、その意味を認識した上で類似画像を調査します。例えば筆者なら、たとえ見たことがない花に対してもその構造から「これはキク科」「マメ科の仲間かな?」などと類推したりしますが、これが人間ならではの「意味付け」でしょう。

それに対してAIは当然ながら画像を見て意味を把握するわけではなく、あくまで図形的特徴から何に該当するかを莫大なデータから判別しています。今回の課題のように画像に明確な意味があるような場合だと、人間が行う意味の把握というステップをしない分、かなりの遠回りになってしまったのではないでしょうか。数年前の時点ですが「AIは犬と猫を区別するのが意外と苦手」という話を聞いたことがあります。現状は知らないのですが、実はAIが進化しても「速さと数」に物言わせるのであって根本的に解決できる問題ではないのかもしれません。それに対して抽象的な図形であれば、これはもはや人間が敵う相手でないことは自明でしょう。

2nd Stageの類否判断対決と3rd Stageの識別力対決では、AIや登壇者だけではなく会場の参加者もスマホを使って実際の課題(10問ずつ計20問)に挑戦しました。そこで勝敗以上気になったのは、AIにせよ人間にせよ最も高い正解率でも7割程度だったことです。実はこのイベントでは使われた課題の実際の特許庁における審査、中でも最初の拒絶理由通知における判断を正解としていました。実際にあった案件なのですから、もし審査基準が完全に明確で判断が常に疑念の余地がないものであったら「正解」が演繹的に予測できるわけで、AIも弁理士も優秀になればなるほど10割に近い回答を出すことが可能なはずです。それがどんなに高くても正解率70%だったということは、それだけ審査官の最初の判断が「不確定要素を含んでいる」と考えられます。

ということは、類否判断や識別力に絶対的な「正解」がない以上、どんなにAIが進歩しても人間を超える回答を出すことができない、というか一定限度を超える正解率を目指のは無意味である、ということになりそうです。それよりは一定基準を下回り「まず拒絶されそう」な出願をきっちり見極めて、人間の見落しによるミスをカバーするとか多数の案件を素早く判断するというAIならではの使い道の方が有用なのではと思いました。

全体を通して感じたのは、当たり前ですが「AIで商標業務を全て代行することはできない」という事でした。AIにも苦手な事や限度があるわけで、そこを無理に解決しようとするよりも、AIの得意領域を伸ばした方が合理的と思えます。「人間が創作し人間が出願したものを人間が審査、審判、裁判する以上、人間の判断が必要になる」という点では商標も特許も変わらないでしょう。それに対して人間にはできない、もしくは不得手な作業を担当させて効率や精度を向上させるためのツールとしてのAIの重要性はますまる上がるでしょう。

AIは人間を超えるか否か、ではなくAIの得手不得手を見極め人間を補佐して共存する、そういうことを考える上でとても面白いイベントでした。

2019年9月23日 (月)

点と範囲の関係

特許文献が一般文献と大きく異なる特徴点として「請求の範囲」の記載の仕方があります。発明それぞれは一つ一つの点ですが、それらを包括した権利を請求の範囲として記述して特許になります。例えば請求の範囲が「ABCを有するX」の場合、Cに包括される特定の一種類であるc1,c2…を構成要素とする「ABc1を有するX」やABC以外の部材D,E,F…を構成要素とする「ABCDEを有するX」も権利範囲に含まれます。つまり請求の範囲とは限定的ではあるが無限の集合を含む範囲なのです。

このblogではこれまで特許調査が特許制度の在り様から固有の特徴を有することを書いてきました。「請求の範囲」も同様で、範囲の存在そのものが調査テーマや資料の適否判断に大きな影響を及ぼします。資料を判別する上で「点と範囲の関係」として特許調査を捉える、という話がこの記事の趣旨になります。

特許性調査において、新規性を否定する資料とは対象となる発明/特許の請求の範囲で規定された内容、つまり請求の範囲の中に含まれる集合の一要素である記載になります。つまり特許性調査とは<特定の範囲に該当する点>を探す作業と言えます。通常の特許性調査では調査テーマを「ABCを有するX」という風に書きますがこれはあくまで概念的範囲であって、この範囲に含まれる「ABc1を有するX」「ABCDEを有するX」という記述=点が全て該当します。調査テーマを点としてとらえ点と点を比較するわけではありません。逆に対象特許と検出特許の請求の範囲同士を比較する、範囲と範囲の比較でもありません。

それに対して権利性調査は、実施する技術を権利範囲に含む特許が探すべき資料になります。つまり実施技術という一または複数の点が含まれる請求の範囲の有無の確認、という<特定の点を含む範囲>を探す作業と言えます。この場合の調査テーマである「ABCを有するX」は点であって、「ABを有するX」「ACを有するX」のような請求の範囲が記載された特許が該当することになります。

つまり「請求の範囲」という特許特有の項目があるが故に、特許調査では範囲という考え方が、調査対象や範囲のみならず対象資料の選抜という点でも重要になります。調査対象と検出すべき資料が「ある範囲の中に含まれる点」または「ある点を含む範囲」という関係であることを意識することが特許調査における資料の適否判断を明確化するとのだと言えます。これが点と点の関係、範囲と範囲の関係だと特許特有の調査である特許性調査や権利性調査では適否が明確化できないことになります。

権利性調査を依頼される時に困るのが実施形態が未確定なケースです。例えば請求の範囲に「ABCGを有するX」と記載された特許は実施技術が「ABCを有するX」の場合は該当しません。しかし実施技術がABCを有するXだけど他にEとかFとか何を使うか決まっていない場合、このような特許でも権利範囲に含まれる可能性がでてきます。それどころか「AGを有するX」とか「Gを有するX」でも可能性は捨てきれず、検出しなくてはならない場合もあります。つまり構成要素以外が請求されていたら除外する、言い換えれば「ある点を含まない範囲を除外する」という検出条件がなくなっています。ここでは調査テーマと比較する請求の範囲がどちらも「要素が無限の集団」であり、範囲と範囲が該当するかどうかを判定するのは困難である、という事態が起きているわけです。

したがって特許性調査や権利性調査では、調査テーマや査読対象がどういう範囲なのか、どの点なのかを明確化し、「範囲の中に含まれる点」または「点を含む範囲」という関係に落とし込むことが調査のより良いものにために必須であると思います。

現在行われているAIによる調査は、この点と範囲の関係で適否を判断しているわけではなく、点と点の類似性を比較するものだと言えます。したがって本当の意味で特許性調査や権利性調査を行っているとは言えないのではないでしょうか…

2019年8月21日 (水)

連載のまとめ

というわけでこの8月の間に続けて連載した記事をまとめます。

書籍「貧乏モーツァルトと金持ちプッチーニ」においてこの二人の作曲家に関する記載については、音楽(史)的観点から以下の点を理解していないと言えます。
・モーツァルトは晩年こそ生活に困っていたが貧乏というほどではなかった。
・18世紀までにおける音楽の在り様では著作権が役に立つような状況ではなかった。
・モーツァルトは著作権がなかったから成功をおさめなかったわけではなく、逆に彼が現在に生きていても失敗していた可能性も大きい。
・音楽作品に対する著作権が十分に効力を有するなったのは19世紀半ば頃から。それに貢献したのはイタリアオペラの父ヴェルディ。
・プッチーニに才能がないというのは全くの偏見であり無理解。彼の通俗性を揶揄する評論もあるが、モーツァルトですら通俗性ゆえ軽んじられた時代もあった。
・プッチーニが組織内で安定的に仕事をしたというのは完全な誤り。
そもそも西洋クラシック音楽を真摯にかつ愛情を持って聴いてきた人なら「プッチーニは才能がない」などという言い方は決してしないでしょう。

そして音楽における著作権という点から考えれば、18世紀後半と20世紀初頭では全く状況が異なるのでモーツァルトとプッチーニをそのまま比較しても意味がありません。知財を活用した芸術家なら他にもいます。

音楽家であれ誰であれ、成功するには才能やビジネスセンス、または知財などいろいろな要素が関わっていて、単純に才能や知財利用の有無で決められるわけではありません。それを「才能があるのに知財を利用できず失敗したモーツァルト」「才能がないのに知財を利用して成功したプッチーニ」という二つの対立軸でまとめようとした事が根本的な間違いです。むりやり対立軸を作り出すためにあえて(嫌いな?)プッチーニを「敵役」に仕立てたのではという想像ができます。

結論として、この本が「貧乏モーツァルトと金持ちプッチーニ」というタイトルである以上、著者の無理解や偏見がこの本の前提になっているわけで、上記の問題点は当該書籍の部分的瑕疵というより存在意義にかかわる欠点と言えます。なのでたとえ他の部分で、特にビジネスに関して妥当な意見が著述されていたとしても、それを理由にこの本を好意的に評価することはできません。


…次回からはまた特許調査の話に戻る予定です。

2019年8月18日 (日)

その7 蛇足ながらテキスト批評

「貧乏モーツァルトと金持ちプッチーニ」の基本概念が問題であることを連載してきましたが、念のため当該本のうちモーツァルトとプッチーニについて書かれた章についてのみ問題のある記載にチェックをいれていきます。カッコ内の数字はその点についてふれたblog記事の番号です。

まえがき
p.7 (モーツァルトについて)「その人気とは裏腹に、高給な仕事には恵まれず」
→若い頃はかなり儲かっていた(その1)

p.7 「一方、プッチーニだが、モーツァルトに比べて、ずば抜けた才能があったわけではない。」
→これほど酷い文章はないだろう(その5)

p.8 (弁理士の経験から)「モーツァルトには彼自身の才能や個性をマネタイズ(資金化)できる無限の要素があった」
→彼にビジネスセンスはなかったかもしれないが、少なくとも当時は知財とは無関係(その1~4)

第一章 音楽と絵画に学ぶ金持ちと貧乏の才
p.25 「中世クラシック音楽に目を向けてみよう。」
→18世紀後半が近世か近代かは議論が分かれるが、少なくとも中世ではありえない。

p.27 「権利を利用する必要性に気づくことさえできなかった」
→当時は著作権等を効率的に利用できるような状況ではなかった(その2,3)

p.28~29 「生活のためにオペラを作った彼は」~「プッチーニは組織とうまく契約を結んだ作曲家である。」
→著者は専属契約を、組織から仕事をふられる「サラリーマン作曲家」かなにかと勘違いしているのではないだろうか?彼の才能を見込んで出版社が契約したこと、作曲だけでなく台本や実際の上演に関しても彼がかなり「我儘」を通していたこと等を著者が知らなかったのだろう。ちなみにこのプッチーニのスタイルもヴェルディが始めたやり方である。

p.30 「モーツァルトがそこまで貧困にあえいでいたかとえいばもちろんそうではなかった。」
→それならこういう表題にする事自体が欺瞞である。

p.30 「もしモーツァルトがいま生きていて~その出演料だけでも年間数百億円に達することは間違いない」
→現在彼の作品が大人気である事と、彼が生きていて大成功するかは別問題(その1,2)

p.33 「今でこそ著作権という概念が存在し」~「しかしながら、オペラだけは違っていた。」
→オペラこそ著作権と密接につながっていた(その4)。それにモーツァルトの時代には独立した「オペラ作曲家」という存在ではなく、雇われ音楽家でなおかつオペラも書くというのが普通である。また台本選びも含めて作曲家がオペラの総合製作者になるのはヴェルディやワーグナー以降の話である。

p.34 「オペラが有する音楽家としての多彩なマネタイズの方法~そのオペラに背を向けたと言っても過言ではないモーツァルト。」
→その4のテーマそのもの。知財どうこうの話ではないし、モーツァルトはオペラを書き続けた。

p.35 (プッチーニは)「それゆえに自分の能力の限界を理解していた。」
→勝手に決めつけないでください!

p.36 「大きな企業に依存し、権利を活用するストックビジネスに切り換えた。」
→出版社に依存していたわけでもないし、著作権ビジネスで成功したわけでもない(その5)

p.44に章のまとめがありますが、上記の指摘の繰り返しになるので省略します。

2019年8月15日 (木)

その6 あえて言うなら

<貧モ>における「才能があるのに知財を利用できず失敗したモーツァルト」「才能がないのに知財を利用して成功したプッチーニ」という前提が完全に間違っている事をこのblogで連載してきました。モーツァルトに関してはその原因は知財ではないのでどうにもなりませんが、「才能がないのに知財を利用して成功した」人なら他に存在しそうな気がします。モーツァルトの時代であれヴェルディやプッチーニの時代であれ、その当時には「月並みな」「通俗的な」作風で彼ら以上に成功を収めたものの現在では忘れ去られてしまった「才能のない」作曲家は数多くいたでしょう。もっとも彼らは忘れ去られた存在なので当然無名、書籍のタイトルにするにはインパクトがない。したがって名前がちゃんと知られているプッチーニに汚名を着せて才能がないのにビジネスで成功した人間と無理矢理こじつけたのであって、この著者にとってはプッチーニでも他の誰かでも特に違いはなかったのではないのでしょうか。

ところで自分の作曲能力以上に著作権を活用して稼いだと言えば20世紀を代表する作曲家イゴール・ストラヴィンスキーを置いて他にいないでしょう。90年近い生涯の間に何度も作風を変え「カメレオン」と称された彼ですが、収入源のほとんどは30歳頃までに書かれた3大バレエの著作権料でした。しかも「火の鳥」は抜粋した組曲版が数種類あり、「ペトルーシュカ」はオーケストラの編成を小さく書き直し、「春の祭典」は終結部の変拍子を書き直し(*)、と後年手を加える事で当時の著作権法の中で権利を引き延ばす策にでています。旧版を認めず演奏を容易にするために改訂した新版を強要する彼に対しては当時から「金のために芸術を売った」と批判されてました。まさに「知財を利用して成功した」という例にふさわしい作曲家じゃないでしょうか。もっとも彼を「才能がない」というのはプッチーニ以上に「音楽史を知らなすぎる」と冷笑されるだけでしょうが。

(*) 自分で指揮する時に変拍子が難しくて振る事ができないので、簡単に振れる様に改訂したという説もありますが、確証がないので…

どちらにせよ成功と才能と知財を二つの対立軸で語ろうとする事自体に無理があったというべきでしょう。プッチーニもとんだ迷惑です。

2019年8月12日 (月)

その5 誰もバカにしてはならぬ

ヴェルディら先人達の努力により19世紀後半以降は音楽における著作権が確立し、作曲家達もその恩恵に被るようになりました。19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したジャコモ・プッチーニもその一人です。ただし彼も他の作曲家と同様な恩恵を受けたに過ぎず、特に著作権で得をしたとか版権ビジネスで大儲けしたわけではありません。そもそ彼は人生の最後までオペラを書き続けました(というより最後の傑作「トゥーランドット」は未完に終わった)。オペラの世界へ身を投じたのも彼自身が交響曲やソナタより適性があると判断したからであって、金儲けのためにあえてこの道を選んだとは言えないと思われます。

それ以上に<貧モ> が問題なのはプッチーニについて『ずば抜けた才能がない』とまで書いている事です。プッチーニに才能がない!??確かにクラシック音楽の長い歴史の中の作曲家の中には、誰の目にも才能の優劣が明白な人々もいるでしょう。しかしながら百年以上にわたって歌劇が何曲も上演され続け、人口に膾炙するアリアを作曲した人を「才能がない」と言い切る傲慢さはどこからくるのでしょう?

もちろん「二人比べたらモーツァルトの方がプッチーニより才能あるんじゃない?」と言われたらそうかもしれません。でも当時既にハイドンが「自分が知り得る最高の作曲家」と評価していたのを初めとしてベートーヴェンだろうがヴェルディだろうがブラームスだろうが、まともな作曲家なら自分の方がモーツァルトより才能が上だなんて考えたりしないと思いますが…

実はプッチーニに対しては当時でも一般受けしすぎる作風を「通俗的」「わかりやすさ優先で単純」「受け狙い」などと批判的にとらえ亜流の作曲家と評する言論も存在していました。大衆向けのオペラで大儲けする彼をクラシックと認めたくない人達がいたのでしょう。それは今で言えば映画音楽作曲家ジョン・ウィリアムスに対するクラシック音楽としての評価みたいなものでしょうか。

でもその「単純」「わかりやすい」という見下し、それこそ実は一時期までのモーツァルトに対する評価でもあったのです。クラシック=古典音楽とは崇高、深淵、重厚なものであり、当然ながら楽聖ベートーヴェンがその中心。モーツァルトはあくまで楽聖を導き出す前段階であり、軽妙洒脱な音楽性は古典の最高峰には達していない、というのが古い考え方だったのです。だからこそ、例えば日本では小林秀雄「モオツァルト」がアンチテーゼとして存在意義を得たのです。今でこそモーツァルトに疑問符をいだく人は稀有でしょうが、全世界を見てもモーツァルトの人気、評価がベートーヴェンを上回ったのは20世紀後半、特にモーツァルト没後200周年の1991年が頂点の様な気がします。

もし「自分はモーツァルトの方が好きだ。プッチーニなんてよくわからん」と言うのであればそれは個人の嗜好で問題はありません。でも「プッチーニなんて才能ない、モーツァルト最高」の様な事を平気で言える人間が西洋音楽史に対してしかるべき教養を備えてるとは言えないでしょうし、クラシック音楽を真摯にかつ愛情を持って聴いていたらそんなたわけたものの言い方ができるとはとても思えません。

2019年8月10日 (土)

その4 オペラは著作権の翼にのって

話はオペラに移ります。

「貧乏モーツァルトと金持ちプッチーニ」(以下<貧モ>)のなかでもオペラが音楽「王様」であると書いてあります。国家行事でも上演される格式やその絢爛豪華さは確かに王様と呼ぶにふさわしいでしょう。でもオペラが王様たる所以は他にもあります。それはまさに「金」です。ソロ歌手や合唱団、指揮者や楽団員、衣装に舞台装置…とオペラはとてもお金がかかります。その代りに儲けも大きくなります。特に市民階級が劇場に足を運ぶようになった18世紀以降、評判が良い作品は繰り返し上演され公演期間も伸び「ロングラン」ともなれば利益はとどまる事を知らず!多くの作曲家達がオペラでの成功を夢見るのも当然です。それに比べると例えば、好評なのでブラームスの交響曲2番を十日間連続演奏会します~なんてことは絶対にありえないのです。

ところで<貧モ>はこう書いています。『オペラが有する音楽家としての多彩なマネタイズの方法、すなわち成功の黄金律に従順に従ったプッチーニと、そのオペラに背を向けたと言っても過言ではないモーツァルト。』…これは要するに金になる仕事をしたかどうか?というビジネスの話であってもはや著作権とか知財とは無関係です。そんなことはモーツァルトが生きていたころから言われていた事で、「才能は半分でいいからその分を社交性に回してほしい」と彼の父親に知人が忠告した話が残っているくらいです。逆に才能の有る無しに関わらずほとんどの作曲家はオペラを手掛けていてプッチーニだけの話でもありません。アーティストも「ビジネスにつながる仕事をしろ」程度の話であれば本で今更書くまでもないでしょう。

しかもモーツァルトはオペラに背を向けてなんかいません。10歳頃!!からオペラを書き始め死の年まで書き続けました。最後のオペラ「皇帝ティトの慈悲」は政府から委嘱され、オペラ・セリアと呼ばれる伝統的かつ格式ばった形式で書かれています。つまり彼が最後までオペラの世界で成功を夢見ていたことは間違いありません。しかしながら当時の音楽界の主流派イタリア人作曲家達の存在が障壁となり、彼の人生においてオペラでは「そこそこの」成功しかできませんでした。「オペラに背を向けた」という見解は音楽史的には全くの誤解です。

ところで「イタリアオペラ」「著作権」の二語を見たら、普通のクラシックファンなら確実に思い浮かべるのはプッチーニではなくジュゼッペ・ヴェルディでしょう。イタリアオペラ最大の巨匠にて初のイタリアの「国民的」作曲家ともいえる彼は、ある時から作曲報酬を1作品毎から1上演毎に変えるよう出版社や興行主に要請した事は良く知られています。当たれば大きいがコケると大変な事になるオペラにおいて、上演回数毎の報酬は興行主にとってもリスクヘッジになるし、当たった時の報酬の増加は売れっ子作曲家ヴェルディを引き留めるための必要経費と考えればOK。こうして収入を安定化させたヴェルディは音楽的にも経済的にも大成功を収めただけでなく、その後の作曲家の地位と報酬の安定化にも寄与しました。著作権で成功したと言うならどう考えても「金持ちヴェルディ」と題した方が適切なはずなのですが。

2019年8月 7日 (水)

その3 変容する19世紀

音楽に対する意識が「客受けする消え物」から変わってきたのは19世紀に入ってからであり、その一つの象徴ともいえるのがベート―ヴェンです。「客が好む」音楽ではなく自分が書きたい・伝えたい音楽を書くという姿勢から生み出された作品は当時のまさに「前衛音楽」でしたが、次第に理解者も増え彼の評価が高まっていきました。作曲家の自我の確立、それが彼をして「楽聖」と呼ばしめる大きな理由でしょう。

そしてもう一つ歴史上重要な転機、それがメンデルスゾーンによるマタイ受難曲の復活上演(1829)です。ゼバスチャン・バッハが最初にこの曲を披露したのが1727年(その後改訂あり)、たった100年前の曲を演奏しただけで画期的な出来事とされていました。もちろん当時の音楽家は作曲や演奏の勉学のため過去の作品に常日頃接しており、モーツァルトもベート―ヴェンもバッハの作品に親しんでいました。でも聴衆はそうではなく、そんな昔に聴くべき音楽があるなんてほとんど考えたこともなかったわけです。

作曲家や聴衆の意識が変わり、作曲家は自分の書きたい音楽を書くのであり昔の音楽にも聴くべきものはある…つまり音楽作品という存在自体が作曲家の一つの自己表現と考えられるようになった19世紀中頃から音楽の在り様も変わってきたと考えられます。例えば19世紀後半を代表する作曲家ブラームスには有名な逸話があります。
・ジプシーの旋律を題材に編纂したピアノ連弾曲「ハンガリー舞曲集」について彼の著作と見なされるのはおかしいと提訴されたが、楽譜に「ブラームス編曲」と記載されてたため彼の著作性が認められた。
・彼の交響曲第一番の第四楽章の主題がベートーヴェンの交響曲第九番の第四楽章の主題に似ていると議論になった。
いずれもオリジナリティなどが考慮されることもなく、真似やパクリが当たり前だった18世紀以前には話題にすらならなかった話です。

このように音楽作品が作曲家の自己表現としての「コンテンツ」と変容してきたのが19世紀中頃のことであり、そうなって初めて著作権制度が音楽に対して有効に機能してきた、と考えるのが妥当でしょう。18世紀後半に活躍したモーツァルトが「著作権を使えなかったから成功しなかった」「著作権があれば大儲けだった」と主張するのは音楽史的に見るとあまり意味のない言説ではないでしょうか。

2019年8月 5日 (月)

その2 18世紀の音楽界と著作権

ところでモーツァルトの時代、音楽作品に著作権はあったのでしょうか? 実は「知財の正義」(R.P.マージェス著)にもはっきり記載されています(第7章255頁)。18世紀イギリスの裁判[Bach v. Longman et al., 2 Cowper 623(1777)]において著作権法上の文言「本およびその他の著述(writings)」に楽曲は該当するとの判断がなされました。ただしこの本には一つ大きな間違いがあります。それはこの裁判の原告のバッハが大バッハ(ヨハン・ゼバスチャン)の二男カール・フィリップ・エマニエルではなく、末っ子のヨハン・クリスチャンだという事です。参照元がwikipedia英語版なので信憑性はどうなの?という懸念はありますが、エマニエルがほぼドイツ国内で活動していたのに対して、クリスチャンはイギリスで自主公演を行い興業的に大成功した「ロンドンのバッハ」とも呼ばれる人物ですからこちらの方が正解でしょう。ちなみに被告のロングマンは出版業者で今でもロングマン英英辞典にその名前が残ってます。

著作権裁判で勝訴したクリスチャン・バッハですが、実はその後人気が衰え借金が膨らみ、窮乏状態で亡くなりました。やはり著作権があっても作曲家の懐が保障されるという時代ではなかったようです。

といって当時の作曲家がみんな貧しい老後を送っていたわけではありません。例えばモーツァルトの先輩であるハイドンの場合、宮廷楽長を務める間にヨーロッパ中の名声を得て、その後旧職場との良好な関係を保ちつつフリーランスの道へすすみ、イギリスを中心に大活躍して生涯を終えています。彼にはモーツァルトにはない「堅実さ」がありました。または少し後の時代ですがロッシーニのように大ヒットオペラを連発して30代で引退、その後は国からの年金で死ぬまでグルメ三昧な生活という人もいます(これが年金じゃなくて著作権料なら「金持ちロッシーニ」と言えたのに…)。

このように主に18世紀までは音楽作品における著作権がちゃんと機能するような状況ではなく、作曲家は著作権などとは無縁に自らの稼ぎ口と人生設計を考えるのは当然の事でした。逆に現代の様に莫大な著作権料を受け取ったが故に身持ちを崩し失敗する~という例は最近でもTKなど枚挙にいとまがないです。たとえモーツァルトが著作権料で巨万の富を得ていたとしても結局は道を踏み外して困窮してた…という想像の方が実態に近いのではと思いますがどうでしょうか?

2019年8月 3日 (土)

その1 モーツァルトは貧乏?モーツァルトでも使い捨て?

<貧モ>のタイトルに"貧乏モーツァルト"とありますが、ところで彼は本当に貧乏だったのでしょうか? 確かに人気絶頂だった20代の頃と比べて晩年(といっても30代!)には名声も収入も陰りを見せていましたが、それでも作曲活動は継続していましたしそれなりの稼ぎもありました。以前の贅沢暮らしが身に付いたおかげで家計が火の車な毎日だったことは確かでしょうが、生活に事欠くほどの極貧というのは後世の伝記の誇張のようです。貧乏というのは生前数曲の歌曲を除いて全く売れなかったシューベルトの様な人を指すと思います。

では若いころガンガン売れてたのなら30代になっても以前の曲をやればいいじゃん!なんでやらないの?と思いませんか。もちろん時流が変わってウケなくなったという面もあるでしょうが、それ以上に当時の聴衆は「昔の曲なんか聴こうとはしなかった」という根本的な理由があるのです。王侯貴族や教会は自分達の為の新作を委嘱し、演奏会となれば聴衆は最新の協奏曲やソナタを望み、オペラにいたっては出来合の台本と劇場に所属する歌手達に合わせたアリアを作る…聴く方にとって音楽とはその場の雰囲気を醸しだすための消え物であり、当時の作曲家は「聴衆の好む音を次から次へと作り出す」のが立ち位置だったのです。

そんな時代ですから作曲家の収入は主に作品への対価でありいわゆる「1作品いくらのとっ払い」でした。当然ながら曲を書けば金になるが書かないと途端に無収入…というのは今の自営業も同じ。実はモーツァルトも30代に入り健康が悪化→作品が書けない→収入減→更に健康が悪化…という悪循環な時期がありました。昔書いた曲が稼ぎになるというのは当時は極めて例外的な状況のようです。

つまりモーツァルトの頃までは世間にとって音楽作品は言わば使い捨て、客好みな響きを提供する事が作曲家の在り様であり、単独の作品が現在の様に「コンテンツ」として独自に存在意義を有するわけではありませんでした。そのような「以前の作品に価値を見出さない」時代ではたとえ著作権があっても、または著作権が機能していたとしても作品が作曲家への収入を保証するような状況にはなり得なかったと考えられます。

<貧モ>にも書いてある通り現時点でモーツァルトの作品に著作権があったら莫大な富を生み出していたでしょうが、それはすなわち「=モーツァルトに著作権があれば彼も裕福になっていた」事にはならない、という事がお分かりいただけたでしょうか。

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