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2019年8月12日 (月)

その5 誰もバカにしてはならぬ

ヴェルディら先人達の努力により19世紀後半以降は音楽における著作権が確立し、作曲家達もその恩恵に被るようになりました。19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したジャコモ・プッチーニもその一人です。ただし彼も他の作曲家と同様な恩恵を受けたに過ぎず、特に著作権で得をしたとか版権ビジネスで大儲けしたわけではありません。そもそ彼は人生の最後までオペラを書き続けました(というより最後の傑作「トゥーランドット」は未完に終わった)。オペラの世界へ身を投じたのも彼自身が交響曲やソナタより適性があると判断したからであって、金儲けのためにあえてこの道を選んだとは言えないと思われます。

それ以上に<貧モ> が問題なのはプッチーニについて『ずば抜けた才能がない』とまで書いている事です。プッチーニに才能がない!??確かにクラシック音楽の長い歴史の中の作曲家の中には、誰の目にも才能の優劣が明白な人々もいるでしょう。しかしながら百年以上にわたって歌劇が何曲も上演され続け、人口に膾炙するアリアを作曲した人を「才能がない」と言い切る傲慢さはどこからくるのでしょう?

もちろん「二人比べたらモーツァルトの方がプッチーニより才能あるんじゃない?」と言われたらそうかもしれません。でも当時既にハイドンが「自分が知り得る最高の作曲家」と評価していたのを初めとしてベートーヴェンだろうがヴェルディだろうがブラームスだろうが、まともな作曲家なら自分の方がモーツァルトより才能が上だなんて考えたりしないと思いますが…

実はプッチーニに対しては当時でも一般受けしすぎる作風を「通俗的」「わかりやすさ優先で単純」「受け狙い」などと批判的にとらえ亜流の作曲家と評する言論も存在していました。大衆向けのオペラで大儲けする彼をクラシックと認めたくない人達がいたのでしょう。それは今で言えば映画音楽作曲家ジョン・ウィリアムスに対するクラシック音楽としての評価みたいなものでしょうか。

でもその「単純」「わかりやすい」という見下し、それこそ実は一時期までのモーツァルトに対する評価でもあったのです。クラシック=古典音楽とは崇高、深淵、重厚なものであり、当然ながら楽聖ベートーヴェンがその中心。モーツァルトはあくまで楽聖を導き出す前段階であり、軽妙洒脱な音楽性は古典の最高峰には達していない、というのが古い考え方だったのです。だからこそ、例えば日本では小林秀雄「モオツァルト」がアンチテーゼとして存在意義を得たのです。今でこそモーツァルトに疑問符をいだく人は稀有でしょうが、全世界を見てもモーツァルトの人気、評価がベートーヴェンを上回ったのは20世紀後半、特にモーツァルト没後200周年の1991年が頂点の様な気がします。

もし「自分はモーツァルトの方が好きだ。プッチーニなんてよくわからん」と言うのであればそれは個人の嗜好で問題はありません。でも「プッチーニなんて才能ない、モーツァルト最高」の様な事を平気で言える人間が西洋音楽史に対してしかるべき教養を備えてるとは言えないでしょうし、クラシック音楽を真摯にかつ愛情を持って聴いていたらそんなたわけたものの言い方ができるとはとても思えません。

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